東京都中野区鷺宮1丁目(現?若宮1丁目)生まれ父は北海道出身で浪越徳治郎の旧友であり、戦時中は技術者として兵器の会社に勤務していたほか、後の千葉工業大学で教えていたこともある。父方の祖父は江戸出身で、彰義隊の残党として北海道に移り住み、ミス北海道の女性と結婚した。 父は戦後、手動式拡大コピー機の会社「スミラ工藝社」を興して成功したが、やがて事業に失敗し、負債処理のために中野の家を引き払い、1954年8月、三鷹市牟礼(現?井の頭4丁目)に転居。 1963年、中野区立北中野中学校から藤村女子高等学校に入学。高校2年の終りの頃、東宝主催「ミス東京セニョリータ」の準ミスに選ばれ、ステレオセットや電気ミシンなどの賞品を獲得。これがきっかけで東宝のカメラテストに呼ばれ、東宝ニューフェイスに選ばれる。東宝俳優養成所を経て1966年に「パンチ野郎」でデビュー、同期には牧れい、若原啓子がいる。 デビュー当初は本名の「菱見地谷子」名義で活動し、1967年から「菱見 百合子」に改名。『ウルトラセブン』の「友里アンヌ隊員」役で知られる。アンヌ役は、映画出演決定を理由に降板した豊浦美子の代役として急遽決まり、撮影の前日に突然呼ばれたため、当然コスチュームの製作が間に合わず、やむを得ず豊浦のサイズに合わせて製作してあったものを着用した。しかし菱見には小さすぎ、身体にぴったりとフィットしたものになったという。 1972年、東宝との専属契約が切れ、女優は辞めるつもりでいたが、個人的な記念のつもりで撮ったヌードが「週刊プレイボーイ」に流出し、これを切っ掛けに東映の『不良番長』に出演し女優を続ける(不良番長#逸話)。以降、フリーとなって気分一心で現在の名前に改名。『忘八武士道』『好色元禄?物語』など東映の成人映画にも出演した。『新仁義なき戦い 組長の首』でも見事な肢体を披露し、主人公たちを翻弄する魔性の女を演じた。その後も数多くのテレビドラマ?時代劇など各種作品に出演。 自伝『セブンセブンセブン わたしの恋人ウルトラセブン』などの著作がある。